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2016.06.22

地域の役に立ち、そこに暮らす人を励ますような学問の追究[後編] 舩戸修一さん

今、浜松で起きている面白いコト。そこには必ずキーパーソンがいます。
彼ら彼女たちがいるからこそ、面白いコトが起きている。
その発想を紐解くと「創造都市・浜松」の明日のカケラが見えてくるかもしれない

〜今、価値とされていることは、

   本当に正しいのでしょうか?〜  

 

学生とともに訪れた、龍山での聞き取り調査の様子

 

2011年、静岡文化芸術大学に就職した舩戸先生。周りを見れば浜松の約7割が山間地域で、まさに自分が求めていた場所だと感じたといいます。その後、学生とともに春野町や龍山の調査を進めることになります。

2015年は学生2名と、佐久間町の山香地区と城西地区を調査。自治会の代表者をはじめ、下部組織である「組」や「班」の代表者や農産物の加工販売をする女性グループ、NPOに社会福祉協議会、移住者など、70名ほどに聞き取り調査を行いました。朝の8時に大学を出発し、10時ごろ佐久間に到着。午前に1件、午後に2件、それぞれ2時間ほど時間をかけて聞き取り調査を実施。その後大学に戻り、22時まで聞き取り調査の内容を確認する多忙なスケジュール。30回ほど行った、現地での聞き取り調査にアンケート調査の結果も加え、2016年2月末、山香地区と城西地区にて報告会を実施しました。

「他出子(たしゅつし)」という用語があり、これは実家を出て行った子どもを指します。今回の調査では、この他出子が何人いるのか、今の居住地はどこなのか、どれくらい地元に通っているのか、地元とどのような関わり方をしているのかなど、一つひとつ細かくヒアリングを重ね、その全貌を明らかにする大変な調査になりました。

「限界集落」とは、「集落の人口の半数以上を65歳以上が占め、冠婚葬祭など社会的共同生活を維持することが困難な状態に置かれている集落」と定義づけられています。今回の調査でわかったことは、例えば、限界集落ではないと判断されるA集落があったとしましょう。この集落では東京などの都心に出てしまった他出子がおり、地元への帰省や交流が全くないと仮定します。将来的にも集落に戻ってこないため、数年後、限界集落になる可能性が高まります。一方、すでに限界集落と判断されるB集落があります。この集落の他出子は、車で30分以内に駆けつけることができる場所に居住していると仮定します。近隣に居住しているため、比較的頻繁に地元に通い、祭りなどの活動も参加できる可能性が高いと思われます。集落を越えてはいますが、家族としての機能が今も存続しているため、集落が消滅する可能性は、B集落よりもA集落の方が高いと考えられます。

今回の調査対象にした山香地区や城西地区において、集落を出て行った息子や娘など子どもの半分以上は浜松市内に居住していることが分かりました。さらに、これらの子どもも含めて、それぞれの地区の人口ピラミッドを作成したところ、どの地区も40歳〜50歳層が最も高いグラフになりました。他出子という側面から中山間地域を見ることで、地域を越えた家族関係の存在が中山間地域での集落を維持していることが分かりました。この結果を得るために、舩戸ゼミの調査は1年もの時間をかけたことになります。

 

龍山調査の現地報告会の様子

 

ーーー最近ではコンパクトシティという言葉もよく聞きます。

「まず言いたいのが、『効率性』という尺度は絶対的な基準なのかということ。佐久間や龍山などでは、山の頂上付近に家々が点在している集落があるんですね。なぜ、こんな所に集落ができたのだろうかと思うんですが、答えは、かつてはその場所が便利だったからです。昔はアスファルトの道路がなく、山の道で繋がっていたので、山の上の方に集落があるのは自然なことだったんです。下に道ができたのはダムができた、つい最近のことで、歴史的に見たらほんの少し前。『効率性』という最近の物差しで『中山間地域は不便である』と判断していいのか、大いに疑問です」

「東京や浜松などの都市部もそうですが、雇用の不安定な仕事も多く、人間関係については隣近所の顔も分からない。待機児童の問題なんて、山間地域に行ったら、他人であっても近くのおじいさん、おばあさんが面倒をみてくれますよ。また、山間地域は、都市部と比べ、空気や飲み水もきれいです。そんな状況を知ったら、山に移住してみようという若い人が出てきてもおかしくないと思いませんか。多文化共生やダイバーシティ(多様性)の必要性が叫ばれ、多様な価値観を持つ人との共存社会が求められています。創造都市とは多様な価値があってこそなるもの。中山間地域を将来的に残していくことは、都市部を活かすことと同様、大事だと思います」

「山に人が住むことで耕作放棄地や獣害の防止にもなります。すぐにお金にはならないけれど、何かしら外部経済としての効果は期待できます。山があるから水質が保たれるといった環境保全の一面もあります。宮城県では、牡蠣の養殖業者が海のミネラルを高めるために山に広葉樹を植えている。浜松は人工林が多いけれど、自然が豊かで、水や空気がきれいな場所。街場や都市部に住む人が天竜区の山の人たちの生活をもっと思いやってもいいのではないでしょうか。街に住む人が享受している自然環境を生み出す中山間地域が、同じ市内にあるというのは、浜松の宝ですよ」

 

身を乗り出し、中山間地域を語る舩戸先生

 

ーーー活動の原動力はどこから来るのでしょうか

「がんばっても給料は上がらないんですけどね(笑)かっこよく言わせてもらえれば、「男気」でしょうか(笑)。人間は経済的な損得で動く動物でありますが、一方で信念で突き動かされるのも人間です。自己陶酔している訳ではないけれど、浜松の中山間地域は、自分ができる限り、貢献しなければと感じています。片道2時間かけて山に行って、1年以上かけて調査をする。なんでそんな大変なことをするのと言われますが、エベレストに登る人と同じで、その人にしか見えない景色があるからでしょうか(笑)。1、2年では無理ですが、浜松の中山間地域は必ず希望の光がさしてくる場所だと思っています。その夢やロマンにかけるのが活動のモチベーションですね」

「過疎化についてはバスの便が減ったとか、お店がなくなったとか目に見えるものもありますが、『心の過疎』というものもあります。過疎地と言われ続けることで、ここは住んじゃいけない場所、子どもには住んで欲しくないと勘違いし、住み続ける誇りも失っていく。結果的に転出者が増え、過疎が実現してしまう。過疎は『予言の自己成就』的な側面もあります」

「私たちの調査では現実を伝えるだけでなく、地元にやる気を出してもらい、励ますことも大事な目的のひとつです。皆さん行政に不満を言いつつも、『しょんない、しょんない』って言うんですね。それって自ら人口流出を促し、地域の過疎化を促進させていくことになるんです。幸い、佐久間町には、他出子や移住者、山里いきいき応援隊(浜松版『地域おこし協力隊』)、私を含め舩戸ゼミの学生など、サポートを厭わない人が多くいます。今回の調査を終え、現地での調査報告会では、移住者を促進する空き家対策やNPOの設立を提案させていただきました。今、マスコミで取り上げられる地域は合併しなかった地域。実際、とてもがんばっています。一方、合併したことで苦しんでいる中山間地域も多い。だからこそ浜松の中山間地域が変わることは、日本の中山間地域にとって、とても大きなインパクトがあると思うんです。実際、浜松には、その可能性があると考えています」

 

研究室からは北遠の山々が見える

 

文化(culture)の語源は、「地面を耕す」を意味するラテン語「colere」と言われています。そこから「心を耕す」という意味合いから「文化(culture)」という言葉が派生し、農業(agriculture)という言葉も生成してきたと舩戸先生が教えてくれました。耕すことは動物にはできない、人間だけが行える行為。耕すことによって豊かな土壌がつくられ、作物が育っていく。待っているだけでは文化は生まれません。舩戸先生はきっと「耕す人」なのだと強く感じました。

 

舩戸修一

静岡文化芸術大学 文化政策学部 文化政策学科 准教授。「中山間地域(農山村)の現状と課題についての社会学的な分析」をテーマに研究を続けている。学生とともに積極的に現場を訪れ、浜松の中山間地域が抱える課題解決のために奔走している。

 

 

 

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